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Sep,6,2022

地政学的リスクによるサプライチェーンの構造変化

地政学リスクとサプライチェーンの関係性

地政学リスクとは、ある特定の地域が抱える政治的もしくは軍事的な緊張の高まりが、地理的な位置関係により、その特定の地域の経済もしくは世界経済全体の先行を不透明にするリスクのことである。地政学リスクの高まりは、地域紛争やテロへの懸念などにより、原油価格など商品市況高騰、為替通貨の乱高下を招き、企業の投資活動や個人の消費者心理に悪影響を与えるなど多くの側面に影響をもたらす。今回は地政学リスクの影響を直に受けるサプライチェーンについて、地政学リスクとの関係性から今後のトレンド、日本企業が取るべきアプローチを考える。
 
貿易障壁の撤廃、輸送費の削減、容易な国際通信の確立により、グローバル企業は中国をはじめとした海外の低コスト地に生産拠点を設立することで大幅な経費削減を成し遂げてきた。そのため、多くの企業のサプライチェーンが国境を跨いだものになっており、地政学リスクの影響を大きく受けるものになっている。
 

2022年の地政学リスク

2022年は新型コロナウイルスの感染拡大や米中摩擦などの継続的な問題に加え、ロシアのウクライナ侵攻により地政学リスクは近年類を見ないレベルで高まっている。
 
新型コロナウイルス感染症
新型コロナウイルス感染症の拡大の影響はしばらく落ち着きそうにない。感染症の拡大長期化に伴い、各国の経済および企業を取り巻く環境の不確実性が年々高まっている。2022年3月、中国は上海をロックダウン。6月初頭に解除されたが、このロックダウンにより多くのグローバル企業が工場の稼働停止や輸出入の停止など大きな影響を受けた。変異株の感染拡大によるロックダウン、国境移動制限のリスクは依然として高い。また、各国による感染抑止・ワクチン接種ポリシーの差異による影響も無視できず、先進国がワクチンを自国民のために優先的に確保するワクチンナショナリズムによって先進国と発展途上国の間にも摩擦が生まれ始めている。


(参考)経済産業省(2020.5.26)「第7回産業構造審議会通商・貿易分科会」
 
米中デカップリング
GDP世界Top2の米中摩擦もサプライチェーンに大きな影響をもたらしている。きっかけはトランプ大統領によるアメリカファースト政策であった。「対中貿易赤字の解消」「貿易の不均衡の解消」を目的に2018年に中国からの輸入品の一部に対して25%の関税をかけると宣言。それに対し中国はアメリカから輸入品の一部に25%の報復関税を課した。両国の対立は関税の引き上げに留まらず、テクノロジー分野においても米国によるHuawei制裁などに見られるように覇権争いを繰り広げている。
 
ウクライナ危機
ロシアのウクライナ侵攻はグローバル企業のサプライチェーンに直でダメージを与えた。2022年2月22日に端を発したロシアによるウクライナ侵攻は現在も収束が見えていない。欧米諸国は天然ガスの禁輸、ロシア中央銀行の資産凍結やロシア金融機関の国際銀行間通信協会(SWIFT)からの排除などの金融制裁に始まる対露経済制裁、および政治的制裁を敷いた。これらに伴い、貿易制裁や現地での操業停止による工業品や原材料の供給の停滞やロシア領空の飛行制限による物流の停滞など現にサプライチェーンに大きな影響が及んでいる。
 
他にも中東情勢やインド、東南アジア情勢も地政学的に不安定であり世界各地でリスクが蔓延っている。

地政学リスクによるサプライチェーンへのダメージ

上記のような地政学リスクの高まりにより、現にサプライチェーンへの影響および損害が発生している。
 
ロシアのウクライナ侵攻に伴い、日本を含む諸先進諸国の企業はロシアの設備停止および事業撤退を実施している。英大手ガス会社シェルはロシアからの事業撤退を発表。同社は同国の国営ガス会社ガスプロムから撤退し、ロシアとドイツを結ぶ天然ガスパイプライン事業「ノルドストリーム2」への関与も終了すると表明。損害額は最大で50億米ドルに上るとされている。日本車大手メーカー5社のロシアにおける生産も5月10日時点ですべて停止された。

また、地政学的対立を背景として、国家および非国家主体によるサイバー攻撃が増加しており、サプライチェーンへの影響が顕在化している。2022年3月1日にトヨタの協力会社がランサムウェアの攻撃を受け、国内14ヶ所にある全工場の稼働を停止し約13,000台の生産に影響を与えたのは記憶に新しい。
 
こと日本においては「円安」による日本経済への影響に地政学的なリスクが絡んできている。本来円安が進むことにより輸出金額や対外投資による純受取額が円換算値で増加し国内における設備投資が拡大するが、地政学的リスクが高まることによって先行きが不透明になることにより設備投資が進まず、むしろ輸入コストの上昇という悪影響が表に出てしまっている。
 

今後のサプライチェーンのトレンド

地政学リスクの回避手段として米国を中心としたグローバル企業においては、サプライチェーンのレジリエンスを高めるために、サプライチェーンのリショアリング、域内完結化への動きが活発となっている。また生産ラインの自動化に伴い製造コストが下がったことで、海外の安価な労働力を求める潮流が以前より下火になっていることもこの動きに拍車をかけるだろう。
 
一方、災害リスクがあり、面積や資源にディスアドバンテージを持つ日本においては、地政学リスクの回避策として、サプライチェーンの一層の多元化を図ることによるリスク分散を狙う動きが活発になってくると予想される。日本政策投資銀行による新型コロナウイルス拡大によるサプライチェーンの見直しについての経営者向けアンケートにおいて、海外の仕入れ調達先の一層の分散化を選択した経営者が最も多かった点がこれを示唆している。また、政府・政府関連機関もサプライチェーンの多元化を推進するよう動いている。政府は令和2年度の補正予算の中で「海外サプラチェーン多元化支援事業」に対して235億円を計上している。独立行政法人日本貿易振興機構(JETRO)は、日本・ASEANなどの地域におけるサプライチェーンの多元化を目的とした設備導入や、設備導入のためのフィジビリティ・スタディ、実証事業などにかかる経費の一部を補助するプログラムを実施している。これらの主目的は、サプライチェーンの分断リスクを低減し、持続可能で責任ある供給体制を確立することである。


(参考)成長戦略会議(2020.11.13)資料
 

展望

新型コロナウイルス感染拡大およびウクライナ危機や米中摩擦の影響は長期化が予想される。このような状況下において、サプライチェーンの見直しおよび強靭化は日本企業が生き残っていく上で避けては通れない事案である。
先に述べたように、多くの日本企業においてはサプライチェーンの更なる多元化が求められることになる。一方、生産地域分散によるサプライチェーンの強靭化は効率性改善とは正反対に位置する施策であるため、コスト競争力を同時に育んでいくサプライチェーンマネジメントが各企業に求められている。例えば、国内生産拠点における効率的な生産活動を海外拠点へロールアウトすることは有効な施策の1つであろう。
 
従来のサプライチェーン戦略は事業戦略を前提に策定されるという手順であった。しかし、地政学リスクへの対応をはじめ、サイバーリスク管理、デジタル化などの経営アジェンダがダイレクトにサプライチェーンに影響を与える現代において、サプライチェーンを事業戦略そのものとしてとらえることがサプライチェーンのレジリエンス強化にとって肝要である。

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