組織論におけるアジャイルトランスフォーメーション
日本の企業の多くはウォーターフォール型の組織であると言われている。中長期の経営計画を作成し、それに基づいて事業計画に定められた全社の目標をトップダウン方式で部門からチームへ落とし込んでいくマネジメント手法である。この中央集権型の組織はフレデリック・テイラー氏が提唱した「科学的管理法」が起源といわれているが、これは将来の経営環境が予測可能であり、また経営計画に遵守すれば業績が向上するという前提のもとにこのシステムが成り立っていたといえる。しかしながら現代は、新型コロナウイルス(COVID-19)といった感染症などの疾病や台風、地震などの災害、AI技術の急激な進化により世の中の変化を予測しにくくなっているVUCAの時代と言える。この先もどのように変化していくのか、予測が難しい。このような環境においては変化への対応のスピード感に乏しいウォーターフォール型の組織運営では限界がくる。組織の柔軟性や変化への適応力が求められるようになってきている。
予測が不可能な世の中に対応していくための組織像の一つとして近年注目が高まっているのがアジャイル型組織である。「アジャイル」とは「俊敏」という意味の英単語であり、アジャイル型組織は一言で表すならばスピード感に優れた組織ということになる。もともとはソフトウェア開発手法の一つであるアジャイル開発からきており、これは新機能や商品を短期間で継続的にリリースし、その都度バグなどに対応し軌道修正していくアプローチのことである。アジャイル型組織とはヒエラルキーによって形成されるウォーターフォール型の組織とは対照的な、テクノロジーによって可能になる迅速な学習および意思決定サイクルで動く人間中心のネットワークである。
アジャイル型組織として成功を収めている企業の一つに世界最大の音楽ストリーミングサービスを提供しているSpotifyがある。Spotifyのアジャイル型組織はSpotifyモデルと呼ばれ、以下のような構造となっている。
組織の最小単位は分隊Squadとよばれ1つのプロダクトや1つの機能について責任を持つ(例:Androidクライアントの開発改善、バックエンドシステムのスケーリング、決済方法の提供)。Squadは自己組織化された一つのチームであり、それぞれのSquadにプロダクトマネージャー、デザイナー、エンジニア、カスタマーサポートなどが配属され、Squad毎にプロジェクト完遂の責任が移譲される。この長期ミッション完遂のための働き方は自分たちで決めてよいとされている。
Squadと同時に支部Chapterと呼ばれる組織単位も存在しており、これは職能・役割別の水平型の組織である(例:フロントエンドChapter、バックエンドChapter)。Chapterは同じようなスキルセットを持った人で構成される為、技術的な課題についての議論やアーキテクチャの議論などが行われる。このSquadとChapterのマトリックスで組織を構成しているのがSpotifyモデルと呼ばれるものである。ここで注意すべき点はChapterよりもSquadが重視されているということである。従来のマトリクス型の組織においては、似たようなスキルを持つ人が機能的な部署として招集され、プロジェクトにアサインされ、マネージャーに対して報告をすることでシステムが働くが、Spotifyモデルでは、デリバリーに重点が置かれている。Squadという自己組織化されているチームがまずあって、Chapterは知識やツール、コードを共有するために存在している。Squadというチームを明確に定義することで、自律性やアウトプットを維持、加速させることを目指している。
Squadの集合を部隊Tribeと呼び、100人前後で形成されている。このTribeにはTribe LeadとAgile Coachというポジションが存在しており、前者はTribe内の優先順位を決めたり、予算をSquadに分配したり、ほかのTribeとの情報交換を行う。後者は各Squadが高いパフォーマンスを発揮できるように、アジャイルな仕事に向けたティーチング・コーチングを行う役割を担っている。
アジャイル型組織として機能するためには、組織のリーダーは以下のポイントでマインドセットの変化を達成している必要がある。
・ 共有する目的とビジョンが存在していること
アジャイル型組織はだれに対して価値を創造するのか、そして価値をどのように想像するのかを再考するものである。顧客を中心として、顧客のライフサイクル全体にわたって多様なニーズを満たすことのみならず、従業員や投資家をはじめとした幅広いステークホルダーとの間で価値を創造することにもコミットする。分散型の価値創造モデルに一貫性を持たせ、焦点を合わせるために、アジャイル型組織においては組織全体で共有する目的とビジョンを設定する必要がある。このコアバリューが各ステークホルダーの行動指針となる。
・ 権限を付与されたチームが存在していること
アジャイル型組織においては、従業員はそれぞれチームを組み、分散された組織の中で個々人が責任と権限が与えられる。リーダー側の人間は、従業員は指示され管理される必要がある、それがなければ何をすべきかわからなくなり、職場が混乱状態になってしまう、というマインドセットから人は明確な責任と権限を与えられるとよりモチベートされて熱心に働き期待を超える結果をもたらす、という考えを持つ必要がある。またリーダーは自らが、スタッフが行動し戦略的および組織的な意思決定に関与するよう動機づける触媒であることを自覚した行動が求められる。
・ 迅速な決定とそれに伴う学習スタイルが確立されていること
アジャイル型組織を導入する目的はVUCAの時代において予測できない事象に対しても迅速に対応するためである。リーダー側もこれまでのような、成果を出すためにはトップダウンで綿密な計画を立てて卸していく、というシステムから不安定であることを前提とし、迅速なトライ&エラーを繰り返すこと、利害関係者から直接意見を求める姿勢が必要となる。
最後にアジャイルトランスフォーメーションに成功した企業の一つであるオランダのINGの組織変革を述べる。INGはデジタルバンキングのパイオニアと呼ばれFinTechの先駆け的な存在として1997年にカナダでリテール顧客向けオンラインバンク「ING Direct」を開始した。2014年から約900億円を投じた大規模なデジタル改革プロジェクトに着手し、主となる改革が組織のアジャイル化であった。組織の構図変革においては、最初の2か月を用いてビジョン策定および組織設計を行った。ここではボードメンバーが、リファレンスモデルとなる他社を訪問するセッションを数回実施した。次にSquad組織の施行が行われた。パイロットとなるプロダクトを複数個選び、SpotifyモデルにおけるSquadを導入。その後本社全体への適用準備が行われ組織改正が施行された。これらの変革は9か月の期間を要して実行された。この組織構造変革の重要な成功要因は以下4つあるとされており、
である。
このようにAXの実装においてはこれまでのシステムを抜本から変革することと同義であり、特に日系企業においては躊躇してしまう可能性がある。一方でアジャイルなアプローチは日本企業にフィットするという見方も存在する。第一にアジリティは製造業において無駄をそぎ落とすことを追求することを目的としており、これはリーンマネジメントの理念に影響を受けている。これを最初に導入したのトヨタであり、その後多くの日本の製造業も導入している。また全社的アジリティは継続的改善の慣行の推進であり、これはすでに日本企業の間で浸透している「カイゼン」と同様である。最後に日本企業は物事の判断を下すまでは時間がかかることが多いものの、いったん方向性が定まれば、世界のどの国にも引けを取らない実行力を発揮する力を持っている。日本企業には、本質的にアジャイルの理念を受け入れやすい素地があるといえるだろう。